一般財団法人 住吉村常盤会
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 帝塚山風物詩
解説
 

帝塚山風物詩(庄野英二著より抜粋

 

【万代池】

今と違って私の子供の頃の万代池には風趣があった。今は大阪市の公園となって、桜も植えられ周囲は平坦になっているが、昔はススキの生い茂った起伏の多い土堤で、草の中に細い径があった。
お月見となるとみんなススキをとりにいった。
私の小学校の二年生か三年生の頃、ある日、先生に連れられて池の周囲の土堤を歩いていた。散歩かメダカの観察か、何かそんなことで一列になって歩いていた。草の径は一列でないと歩けなかった。土堤は起伏が多くて冒険にみちていた。
その日、誰だったか池に落ち込んだ。堤防の高さは水面から四米位あったから、落ち込んだ水の音も割合大きかったに違いない。受け持ちの先生はびっくりして堤の上から洋服を着たまま飛び込んで救いあげてくれた。この事件はいつまでも私たちの語り草になっていた。しかしこの飛び込んでくださった先生が西岡先生か松島先生かはっきり記憶がないのである。 

万代池は財団法人住吉村常盤会の所有で戦後は大阪市の公園として貸与している。湖畔には住吉校下を中心にした「万代池に桜を植える会」が桜を植えて新しい桜の名所ができた。池の中央に橋ができたのは戦時中からである。

 

【大領池】

万代池の南東にあるのが大領池で大阪府立病院の陰になっているから知らない人も多いだろう。大領池は万代池よりもずっと小さいが形はそっくり同じである。島のかっこうもよくにていた。
大領池は万代池同様、持ち主は常盤会である。私は常盤会の評議員であり且つ運営委員をしていた。大阪府立病院は病床数を増やすため大拡張を計画し、そのために大領池を埋め立て、病院の敷地にしたいという希望があった。運営委員会は年余に渡ってこの問題を研究した。府立病院に協力するのは吝かではないが常盤会としても図書館、文化センターや老人ホームの設立その他やりたい事業も沢山あるので財源は有効に活用したかった。理事長の太田儀兵衛氏はお年を召しておられ病床についておられたので岩井氏が理事長代理として大領池の譲渡問題について積極的に話を進められた。
結局、役員の豊島氏が交渉役となり佐藤義詮知事と話し合いの結果、大領池を埋め立てて譲り渡すことが決定した。
譲り渡しのほか常盤会の指定寄付として病院に花壇を贈ることにした。

太田理事長の最後の美挙であった。

 

【帝塚山古墳】

帝塚山(古墳)について私の最初の記憶が残っているのは私の幼稚園の時である。私の幼児期、春になると帝塚山には、山のあちこちに毛氈をしいた床几が置かれていた。市内の人たちが行楽にくるところであった。酒を飲んでドンチャン騒ぎをする光景など少しも見られなかった。
帝塚山古墳は完全な前方後円墳で古代豪族大伴金村の墓と伝えられている。帝塚山は頂上部を除いた斜面には松が生えており裾野(?)は小帝塚の原や岸の姫松の原へ松林が続いている。小帝塚は松で囲まれた原っぱであった。
後円部の頂上が一段高くなっていて、そこに大きな自然石の碑が建てられている。この碑は明治天皇が近畿地方で行なわれた秋季大演習を統監された時、ここが御野立所となったのでそれを記念して建立されたものである。
帝塚山古墳の広さは1,030坪で所有者の住吉村常盤会が古墳の保全管理を続けている。

 

紹介

庄野英二氏(1915年〜1993年
        1970年10月〜1993年11月まで住吉村常盤会評議員を務める)
元帝塚山学院長 児童文学者 なお芥川賞作家庄野潤三氏は次弟

帝塚山風物詩は1965年(昭和40年)50歳の時発行


   


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